うつブログ

鬱と判断され数年。鬱だからこそ言えること、鬱になって日々闘う男のブログ。ちなみに相談もお待ちしてます。

イジメバラエティが嫌い

こんなハッシュタグがタイムライン上に出てきたのは少し前のこと。

 

一応私も便乗して書いてしまったのですが、ふと思って書いたツイッターより、ブログの方がいいのでは、なんて思い、今日書かせていだたいております。

 

小学生というのは、案外多感な時期です。その案外多感な時期に自分はよく周りから弄られておりました。理由はリアクションが面白いから。当時の自分はいじられるということに対してよくわからん時期。正直バラエティが大嫌いでした。で、特に嫌いだったのが、ダウンタウンとんねるず。あの人たちは基本的に人をイジって笑いを生み出していっていたのをよく見ていたので、当時の流行りということだったんだろうと思います。だからなのか、自然といじる側、いじられる側みたいなのができていき、いじられる側は変なことをやらされるようになっていきました。

 

正直、今はバラエティは大好きですし、よく見ます。ただ、やっぱりいじられる場面はあまり見ない、というのが本音です。昔もこれからも見るのはバラエティでも平和的なものが多いバラエティになるかもしれません。

 

いじるということが芸人としての常識ならば、一般人の常識は違う、ということを理解してほしい。

 

というのが本音です。

大号泣した私の話

私、今劇団に入っております。

 

劇団名は劇団ブランクシアター(ホームページには英語で書いてますが、英語が苦手なので、ここではカタカナで書かせて下さい。)

 

先日その劇団の舞台に立たせて頂きました。自分自身、やれるだけやってはみました。おかげ様でたくさんの方々にお越し下さいました。

 

さて私、その舞台の千秋楽の後、何故か涙が止まらなくなりまして、大号泣してしまいました。その時は何故こんなに泣いてんだろう、なんて思っておりましたが、今考えると、打ち込んだからなんだろうなあ、楽しかったからなんだろうなあ、なんて思ってしまいました。

 

昔に比べると私は大分打算的な人間になったように思います。正直、どこかでこうすれば…、なんて思いながら、それに応じた「キャラクター」を演じてることが多いなあ、と自覚してました。

 

ただ、今回は弱い自分もひっくるめた「素の自分」の本気で走り抜けたからこそ、こういった大号泣も出たのかなあ、なんて思ってしまいました。

 

純粋に喜怒哀楽を表現するのはカッコ悪いと日本人は言われます。私もそうだろうと考えていたのですが。

 

今回やってみて、

 

皆さん

 

感情を

 

出すのって

 

案外悪くないですね。

 

これからも演劇を楽しみながら感情を出したいと思いました。楽しかったなあ

 

正直、イライラしかない今回の純烈の件

色々とワイドショーを賑わせている純烈の件。

 

特撮好きの私としては今回の件は少しショックでした(離婚歴がある方なんで、もしかしたら…、という可能性も少し考えてたんでかなりではありませんでした)。

 

それよりも苛立ちを隠せないのが、今回の雑誌。

 

なんでこのタイミングで出すんだ?いや、こんなタイミングだから、売れるって思ったのか?もしそうだったらふざけんな!と言いたいのです。

 

確かに許すべきではないことだとは思います。相手の女性に対しては許しがたいことであったのも事実でしょう。ただ、芸能人でダメなことをしたとは言え、それをこのタイミングで出し、売れる可能性を潰しやがったあの雑誌には不快感しかありません。

 

芸能人は聖人君子になるべきであり、みんなの手本となる人間になるべき、みたいにしか思えなくなったのです。

 

大好きだからこそ、思い入れがあるからこそ、駄目なものは駄目だと言うべきかもしれません。

 

でも芸能人でなくても同じような駄目な人間もいっぱいいるわけです。だからこそ、芸能人ばかり追いかけないで、一般人の駄目人間も追いかけろよ、と思ってしまいます。

 

あくまでも芸能人というフィルターで叩かれてしまうのはいくら駄目人間だからとしても納得はできません。

 

多分自分はこれからも純烈を応援するだろうと思います、絶対に。批判ばかりのこのネットの社会にあえて言ってみました。

 

叩かれる覚悟です。

会話

「なあ」

 

「ん?」

 

「俺さー。」

 

「うん。」

 

「わかんないんだよねー。」

 

「なにが?」

 

「愛って。」

 

「なんで?」

 

「だってさー。好きとは違うわけじゃん。英語でLIKEとLOVEの違いみたいに。」

 

「うん。」

 

「だけど、ベクトルでいうと同じじゃん。好きと恋って。」

 

「まあねー。」

 

「だからわかんないのよ。好きと嫌いだったら違うベクトルだからさ、わけやすいけど、好きと愛だとどこからが好きでどこから愛って分けにくいじゃん。」

 

「はあ。」

 

「だからさ、愛を捧ぐとか、よくわかんないわけよ。」

 

「ほう。」

 

「だからさー。恋人ができても愛してるなのか、わかんないわけね。」

 

「うん。」

 

「あーあー、わかんないなあ、どのぐらいから愛なんだろう?どこからが好きなんだろう?…お前はどう思う?」

 

「んーと…。私のベッドで横にいるその女の子が服を着てから答えるね。」

 

 

短編を書いてみようかと思います。

仕事場で三月にやる就園式というものに劇をすることになったのですが。

 

脚本を書くことになりました。

 

まあ、原作(「桃太郎」)があるので、どう脚色していこうか、という感じにはなると思います。

 

さあて…。

 

脚本なんて書いたことない自分。どうすんだこりゃ。

 

で、考えた結果、

 

そうだ!ブログで短編書いてみよう!と思ったわけです。

 

書く練習としてやってるので、下手くそではあるとは思います。

 

色々とつっこんでもらえると助かります…。

 

お願いします。

今年もありがとうございました。

色々と大変ではあった2018年。

 

皆さんは大晦日いかがお過ごしでしょうか?

 

本当に今年ありがとうございました。もう少し、来年はブログの頻度を増やせたらええなあ、と思っております。

 

私は今年救急車に運ばれたり、

いっぱいバンドを聞いたり、声優さんのライブ見に行けたり、と色々ありました。

 

あっ。そういえば、来年舞台に立ちます。

詳しくはツイッターでwww。

 

それでは皆様また来年!

「作詞家」鈴村健一から見る文才の凄さ

前回話ししたのですが、私は同性の声優さんが好きになりやすいことを言わせて頂いたのですが、その中でも鈴村健一さんという声優さんが好きだったりします。

 

で鈴村さんの演技も好きなのですが、僕が好きなのは「作詞家」鈴村健一さんだったりします。鈴村さんは歌手としても活動してらっしゃいまして、CDはもちろん、ワンマンライブや「おれパラ」という年末に行うイベントでライブをされておられてます。

 

で、そんな鈴村さんなんですが、歌の作詞は全て鈴村さんが行なっておられます。私はそんな鈴村さんの作詞能力を是非、ブログに書きたいと思い、書かせていただきました。

 

まず、恋愛ソング。

昨今の曲を聴いてみるとやっぱりどうしても「キス」「愛してる」「大好き」といった単語で恋愛ソングを歌う人が多い、といった印象です。まあその方がストレートに伝わりやすいですから、恋愛ソングとしては最適だとは思うのですが。

 

じゃあ鈴村さんはどやねん、とお思いの方もいらっしゃいますよね。「ミトコンドリア」という曲。上記のような恋愛ソングのフレーズは全くないものの、恋愛ソングにだなあ、と感じるワンフレーズはあまりありません。(愛とか惚れたはありますが)

 

ただ、私はこの曲は究極の恋愛ソングだと考えております。(私個人の見解です。)

 

この曲、ミトコンドリアというタイトルどおり、「細胞」という歌詞が出てきます。この上記の言葉で好きを表現しているのです。

 

例えば、この言葉。

 

「僕ら細胞一つになっても繋がってるんだ」

 

細胞と繋がるという言葉を使い、一緒にいたいと表現しているわけです。

 

あと、鈴村さんには歌詞に遊び心があるように思います。さっきのミトコンドリアもそうですし、「あいうえおんがく」という曲はその最たる例だと思います。

 

この曲は歌詞の頭をみると50音順になっており、それがしっかりとした曲になっております。初めて聞いた時には普通にいい曲としか思わなかったのですが、歌詞の秘密を知った後だと余計その凄さを感じました。

 

そして最後に。鈴村さんの性格もあるとは思うのですが、基本的に「誰か」がいて、その「誰か」に向けての「対話」している歌詞であるということであるというところでしょうか。

 

Ships」というライブでは定番の盛り上がる楽曲があります。この楽曲、冒頭の歌詞で

 

「さあいこう」

 

という言葉があります。一人では出ないこの言葉。多分鈴村さんは意図して書いてるのかわかりませんが、歌詞のストーリーは鈴村さんが主人公ではなく、聴いている自分達に向けて、の歌詞なのかな、と感じました。

 

こんな感じに書いてみましたが、少しでも鈴村さんの作詞家の凄さを感じてくだされば嬉しいと思います。